二輪卒検合格しました

やっと…

やっと普通二輪免許に合格しました。4月の下旬に「免許をとろう」と一念発起して2カ月半。念願の免許が取れました。

今回で4回目だったのですが、こんな緊張感は久々に味わいました。社会人になってペーパーテストはあっても実技の試験はなかったので…。もう一つ実感したのが、反射神経の衰えです。20代なら出来ていたことが今は出来ないという事が衝撃でした。その原因を自分なりに考えてみるとまず頭で考えてしまうという事が挙げられます。「次はこうだからこうしなくては」という事を考えてしまう。その間にもバイクは進み、反応が遅くなるという事が多々ありました。もちろん考えないで運転してもいけませんが、考えすぎもいけないという事を体感しました。

苦戦したところ

バイクにしろ自動車にしろ教習中は借り物の車両です。さらに検定ではどの車両が当たるかはわかりません。全部の車両の癖をわかっていればいいのですが、それは不可能。それに緊張感。「一度ミスすれば強制終了」というプレッシャーは、今風に言えば「半端ない」です。

私が3回落ちた原因はエンスト、スラロームのパイロン接触、一本橋。

エンス』トはそれまで使った事のない車両で「クラッチの感覚が違った」という事。スラロームは「リズムが崩れてしまった」事、一本橋は「緊張で落下」という事が不合格になった原因です。

「向いてないんじゃない?」と思う人もいるでしょう。「こんなのを一発で通らないのは公道に出るな」という人もいます。でも一回で受かろうが、10回で受かろうが免許証にその事は書いてはいません。受かってしまえば同じ。

これから

免許取ってこれから待っているのは「免許の種類の追加」です。最寄りの運転免許試験場は日曜日は更新のみで「平日しか免許の種類の追加」はやっていません。よってその為には「平日に休み」を取らなければなりません。しかし西日本豪雨の時も「出勤を強制」する企業が多い昨今、仕事に必要な免許でもないのを追加する為に休みをとるというのはいい顔をされないのも事実です。なにしろ風邪だろうが何だろうが「気合」でどうにかなると思っている会社ですから。

車と違って二輪は「路上教習」がありません。よっていきなり公道デビューという事になります。安全運転に徹していこうと思っております。

 

働き方改革関連法成立

何のために働く?

働き方改革関連法が自民、公明、維新などの賛成多数で成立した。この事に対し「働かせ放題、過労死が増える」との懸念の声が上がっている。それには拍車をかけているのが、年収を400万にまで引き下げるべきとの経団連の要望。一体何の根拠で引き下げろというのか?要はこれから労働人口は先細りになるので『一人で何人分もの仕事をさせる」という企業側の論理に他ならない。

経団連という組織のトップというのは「東大卒」がほとんど。幼いころから「天才、神童」と言われ、さらに「社内政治」に強かったというのが今の地位につながっている。

森友、加計問題で「官僚は常識がない」と批判されているが、経団連も同じようなもの。この原因は一体何なのだろうか?それは創業者社長ではなく「サラリーマン社長」というのがその一因であると思われる。そもそも大企業と言われている企業も、元を正せば「小さな商店、工場」であったのが多い。創業者社長は「技術がある」から「潰してもやり直しがきく」という発想の持ち主であったのだろう。だから攻めの経営ができた。

ところがサラリーマン社長は、「代々続いてきたのを自分の代で終わらすわけにはいかない」という事ばかり考え、守りに入っているように感じる。だからこの「働き方関連法」の年収制限を400万に引き下げようとしているのではないか?

過労死が増えるという懸念がある。これは創業者社長ではなかったのでは?創業者は「社員を家族と同様」に捉えていて「社員の生活を第一」と給料のアップも惜しまなかった。近年、「なぜこの仕事をやっているのか?」という質問に対して「やりがい」という言葉が出てくることが多くなったと思う。正直に言って働く理由は「生活、カネの為」でありやりがいが最上位に来ることはない。

求人を見て一番最初に目が行くところは何だろう?給料ではないだろうか。実際仕事はきつい所も多いが、裏を返せば社員に還元しているという事にもなる。給料を払っているのだから「きついのは当たり前」というのは時代錯誤。ならば「人員体制」を整えるべき。過労死を出さない企業は人員体制をしっかり考えている。もちろん技術の継承もしっかりできている。

労働者派遣法は撤廃するべき

正社員が高根の花となったのは「労働者派遣法の拡大」が大きい。そもそも派遣とは「高度な技術を持った人」の専売特許であった。それはそうだろう。裏付けとなる技術がなければ「派遣先に行っても使い物になならない」からだ。

ところが一般職にまで派遣法が拡大された。現実問題として起こっているのが、「技術の裏付けがない人が派遣されている」という事。派遣というのは「この人はこのような事ができます」という事で派遣される。ところがいざ来たら「何もできない」という事が多いと言われる。その結果「次から次に派遣が交代する」という事態になる。これを見ると派遣は日本にはなじまないという証明になる。

竹中平蔵氏がこの派遣法推進の中心人物。結果として彼のやったことは「日本には向かない方法を妄信的に導入した」事だ。いくら日本人の生活様式が「欧米化」したと言われても「根本」を見誤っている。日本というのは「人を大切」にすると言う文化が根強くある。それは「仲良し」という意味ではなく「一人前」に育て上げるという意味でだ。

ところが派遣法にはそれがない。竹中氏の「アメリカではこうなんです」というのは日本にはなじまなかったという事に他ならない。ではアメリカではこの事に対する「裏の部分」はないのか?彼は決してそのことには触れない。「アメリカのやることはすべて正しい」という事を強弁する事に徹するのが正しいのか?

 

 

ネットの情報は信用できないというマスコミの主張

ネットは信用できない?

インターネットというものが普及してきてからの問題がインターネットは信用できるか?という事です。

マスコミは「ネットは匿名性が高いから信用できない」という論調です。ではマスコミが「記事を書いた人間」の名前を公表しているのか?と言えばそんな事はありません。その点ではネットもマスコミも差はありません。

なぜマスコミはネットを目の敵にするのかと言えば、ネットが普及する前はマスコミが情報をコントロールしていたと言っても過言ではありません。ところがネットの普及でそれが崩れてしまった。端的に言うと国民をだますことができなくなったという事です。

それは選挙で表れます。民主党政権ができた時に事を思い出してください。この前の「麻生政権」の時にマスコミは「麻生総理が漢字を読めない、カップラーメンの値段もわからない」という事に終始しイメージを下げていました。私に言わせれば「こんな事は些末な問題」であり政策には一切関係ありません。しかしマスコミは「自民党政権」を終わらして「野党政権」の樹立をしたかったのでしょう。

ここで一つの問題が出てきます。マスコミが望む政権を樹立するためにはこのような世論誘導をやっていいのか?という問題です。

公正中立な報道がマスコミの本来あるべき姿です。しかしながら公正中立とは名ばかりで骨抜きになっています。それは現在も継続しています。

ではネットはどうでしょう?会社という縛りもなく忌憚ない意見が入り乱れています。もちろん問題がないわけではなく、誹謗中傷などもあるのも事実です。しかしマスコミに言論統制されていたのに比べれば「本音」で意見が言えるのは長所と言えるでしょう。

ネットに取って代わられるのでは?

トランプ大統領に代表されるようにSNSは今や重要なツールです。政治家が有権者に直接に自分の考えを言え、それも歪曲されることもなく伝わるのは大きいです。将来的にはネット投票と言うのも現実性を帯びてきます。

しかしこれに強硬に反対しているのがマスコミです。反対する理由はただ一つ。「世論誘導」ができなくなるからと「存在意義」が無くなるからです。私は正直マスコミの記者の意見なんて聞きたくありません。なぜならば「社の意向に沿った意見、質問しかできない」からです。それならたとえ左であっても「政治評論家」のほうがましです。個人の名を晒している以上「言った事には責任を取らなければいけないから」です。

いずれ紙媒体である「新聞」は「電子版」になるでしょう。テレビも偏向報道をしているようなら衰退していくのは避けられません。それを食い止めるには本当の意味での公正中立な報道をするしかないと思います。

ホンダが来季レッドブルにPU供給決定

来期は最大のチャンス

2015年にF1に復帰したホンダ。これまでは思うような成績を挙げられていない。だが来季は最大のチャンスになる。

F1のトップチームレッドブルにPUを供給することが決定したのだ。あれ?マクラーレンはトップチームではないの?という意見もあるだろう。私見としてマクラーレンはもうトップチームとは言えない。なぜならばロン・デニスというカリスマを失ったマクラーレンは没落する一方だからだ。

これはスポンサーの獲得に現れている。かつてはマールボロ、ウエスト、ボーダフォンなどのメインスポンサーがいたが現在は不在。相当活動資金に苦しんでいるのは容易に想像できる。さらにホンダ時代に活動資金をバックアップしてもらっていたのでその資金が無くなれば、開発にかける予算は縮小される。F1での予算の減少は即、成績に跳ね返る。成績が出ないとスポンサー獲得の材料がなくなるからだ。という事は成績の向上は望めないという事になる。

かたや来季からパートナーになるレッドブル。元々はジャッキー・スチュワートが創設したスチュワートレーシングが母体。そしてジャガーレーシングとなり現在はレッドブル。

当初は成績が芳しくなかったが、エイドリアン・ニューウェイという天才デザイナーが来てから成績は急上昇。チャンピオンチームにもなっている。さらに安定した資金もある。数々のスポーツイベントのスポンサーにもなり、最大手のエナジードリンクメーカーのレッドブルがチームの母体でありスポンサー活動も順調。今期PUを供給しているトロ・ロッソは兄弟チームであり、今期はホンダの力量を推し量る為に供給したようなものだ。

ホンダの懸念は年間のPU供給が3基に制限された事。昔はレース毎にPUを交換していたがコスト削減の下に制限が加えられた。18戦あるとすれば単純に1基当たり6戦保たせなくてはならない事になる。距離にして1800キロ。さらに高回転で回し、パワーも出さなくてはならない。なかなか困難な課題だ。

ホンダがレースに出る理由は「レースで得た技術を市販車に還元する」という事に尽きる。それはF1だけではなくどのカテゴリーでも共通。だからホンダには過去の栄光にとらわれずにどんどん挑戦してもらいたい。ここで本田宗一郎の名言を一つ。

「失敗を恐れるより何もしない事を恐れろ」

東海道新幹線事件の報道姿勢

新幹線で…

新幹線で通り魔事件があり「3人が死傷」した事件。亡くなられたかたには哀悼の意を表します。このような事が起こると「安全管理はどうなっている」という意見が出ます。しかし現実的に「飛行機のような手荷物検査」はできません。

理由は「過密運行」だからです。これを実行すれば「新幹線の運行本数は半分以下」になるのは明らかです。それでもいいという人はまずいないでしょう。少し遅れただけで「サービスの低下」と批判するマスコミがこれに噛みついてくるのは容易に想像できます。

容疑者は自閉症?

容疑者は自閉症という報道がされていますが、この報道はいかがでしょうか?日頃「差別ガー」と言っているマスコミがこのような報道をするとは信じられません。この報道は「障害者差別」そのものではありませんか?

自閉症だからこのような犯罪を起こすというのはありません。適切な療育、支援をやれば症状を改善することはできます。この容疑者が自閉症であるのならば「適切な対処をとられなかった」というある意味被害者とも言えます。とはいえやったことが許されるわけではありませんが…。

全国民に検査をするとでも?

このような自閉症の人物を野放しにするなという意見は必ず出てきます。ではそののような人物をどのように判断するのでしょうか?

全国民に「検査」を義務付ければいいと思います。そうすればそのような人の望む自閉症などの人物を隔離する事ができるでしょう?しかしこのような事をやるとなれば「猛烈な反対」をするのは明らかです。

それは「自分も実はそうなのではないか」とわかってしまうという事への恐怖感もあると思います。発達障害が大人になってわかってしまうという事も少なくない昨今、結構な数に上ると想定されます。

まとめ

今回の事件は障害のあるなしではありません。では健常者がそのような事件を起こすことはないのか?と言えばそのような事はありません。だから障害があるからこのような事件を起こしたという報道は偏見を招くので控えてほしいと思います。

 

自動二輪の卒検

落ちました(笑)

昨日、自動二輪の卒検があり落ちてしまいました。言い訳になるかもしれませんが、「緊張とプレッシャーに負けた」というのが本当のところです。

クランク、S字、坂道、急制動、一本橋という課題は緊張しながらもクリアできたのですが、「ウインカー消し忘れ、エンスト」が原因。細かい所での累積が響いての結果でした。しかしそれには理由があります。

バイクの癖。私が乗ったのが、ギヤが落ちにくいモノであったこと。それに緊張感が重なってエンスト…。その後は負の連鎖。私の教習所では「ウオームアップ」というのがありませんでした。しかしいろいろネットで検索して見ると、一周程の走行後に検定開始という所もあるようです。

その点は別室に呼ばれた時に「偉い人」にしっかりクレームを入れておきました。色々な人が乗る教習車ですからねぇ、変な癖がついていてもおかしくないです。

次回は二週間後

仕事の関係上次回は「二週間後」になって、その前に一時間「補習」を受けなければなりません。あまりにも早く補習を入れてしまうと「感覚を維持」するのが困難になるので、前日に入れる事にしました。あとはメンタルの問題。緊張感がないというのはあり得ないですが、緊張しすぎというのもよくないと実感したのは良い経験になったと思います。もう一つは「卒検というのはこういうものだ」とわかったのも収穫です。

ポジティブシンキング

落ちたものは仕方がないと割り切ってポジティブに行こうと思います。「またバイクに乗れる」、「練習の機会をもらった」という発想の転換です。正直、余計なお金がかかるのは痛いですが…。

落ちた人に対して「センスがないからやめろ」という声もネット上では見られます。センスとはいったい何でしょうか?極論を言えば,センス=才能ととらえれば「センスのある人ばかり」なら交通事故は起きないはずでは?

よく教習所で聞くのが「一回で通る人ほど事故率が高い」という事。私も自動車は一回で取っていますが、御多分に漏れず「事故の経験者」です。二輪は事故が起きたら「ダイレクトに体に跳ね返ってくる乗り物」なのでそれをいい方に捉えて二回目に臨みたいと思うます。

今日のTwitterから

天安門事件から29年

本日6月4日は天安門事件から29年目の日です。1989年の6月4日に「民主化を求めて」学生が中心となって蜂起した運動の事を言います。

この民主化運動に危機感を持った「中国共産党」が軍を出動させ、運動に携わった人を多数殺害しました。死亡した人数は「中国政府」の発表では319人と発表されていますが、実際はもっと多いと言われています。

中国では日本の公共放送 NHKを見る事ができますが、天安門事件を伝えるニュースとなった時に「画面が真っ暗」になったそうです。これは逆に見ると中国共産党が民主化運動を恐れている表れとも取れます。有識者は「あれだけの人口をまとめるのは一党独裁でないとできない」と言っていますが、果たしてそうでしょうか?単に、中国を批判する事の出来ない「日中記者協定」に縛られているだけだと思います。そう遠くない未来にインドが中国の人口を抜くと言われています。インドが様々な問題がありながらも「民主主義」でやっている現実を見れば、「中国ができない理由」はありません。

中国という国は「中国共産党」の独裁国家です。日本の報道を見ると「さも自由経済で資本主義」のような誤解を与える報道になっていると言わざるを得ません。その反面。日本の安倍政権は「長い期間やっているのは独裁」のような報道。少なくとも「選挙」という手段で選ばれたのですから「独裁」ではありません。「数の力で押し切るのは独裁」という意見もあります。しかしながら「民主主義」とは「数が力」であることは疑いのない事実です。野党もそんな事を言っているのならば「数で対抗すればいい」と思います。

ただこれには落とし穴があります。「ただ頭数をそろえただけでは意味がない」という事です。希望、民進が合併し国民民主党が誕生しましたが、これがまさにそれです。選挙で過半数をとらなければ政権をとることはできません。しかし今の状況ではそれはないでしょう。このように野党が「混迷する事」が与党にとって「手助け」になっているのは皮肉ですが…。

 

 

マスコミ報道は果たして公正なのか?

批判だけはするマスコミ

最近のマスコミの報道はおかしいと思わないだろうか?日本大学のアメリカンフットボール部員の「悪質タックル」の大学側の対応を問題視しているが、マスコミにそれを批判する資格があるだろうか?

ついこの間は「セクハラ問題」が世間を騒がしていたが、その時の対応は「決して正しい対応」とは言えない。むしろ「マスコミがマスコミを批判する事はない」という事が明るみになっただけだ。

なぜ追及が「福田氏」の方向だけに行かなければいけなかったのか?テレ朝側の「音声データ」の解明の方向に行くのが本来の流れ。ところがマスコミは追及しすぎると「マスコミ全体の信用」に関わるという事で手心を加えているように見える。そこに日本大学の問題が浮上した。マスコミにとっては渡りに船。「この問題を大きくすれば」目線をそらす事ができるという事で大きくしたのではないか?

「20歳の学生が」というのが不可解

マスコミは「20歳の学生が監督の命令で仕方なくやった」という方向にもっていこうとしている。だがこれが「20歳の社会人が反社会組織に脅されて犯罪に手を染めた」となれば「この20歳の社会人は同情を集める」だろうか?「反社会組織に出入りしているからこのような事になる」という目で見られるだろう。

20歳。法律的にも、社会的にも「大人」である。ところがマスコミは「大学生」という事だけで「未成年」のような扱いをしている。そしてその学生を「立派だ。学生を一人で記者会見に出させるのはけしからん」という論調にしている。記者会見にしても「この学生」が一人でセッティングしたのならすごいと思うが、日本大学側がおぜん立てしたと聞く。

マスコミは何のために記者会見にきたのか?

日本大学側の対応が「けしからん」という論調。だがマスコミ側にも問題がある。「記者会見に来てやっている」という態度に問題はないのか?別に来てくれと頼んでいるわけでもないし、取り上げる気がなければ行く必要もない。最初の話に戻るが、「セクハラ問題隠し」と思われても仕方ない。

女性の味方という欺瞞

セクハラはいけない事である事は間違いない。だが「女性が勇気を出しているから真実」というのは飛躍しすぎではないか。ハッキリ言って「この風潮を利用しよう」と思っている女性もいるのではないか?

痴漢冤罪などはその典型だ。「痴漢です」と疑われたら「女性が言っているから」という事だけで警察に拘束される。この男を嵌めてやろうと思えば「可能」という事だ。これが逆に女の痴漢がいたとすればどうなるか?という事は司法も想定していないと思われる。もしいたとしても「痴漢された」と泣いて言えばそれが通ってしまうという恐ろしい世の中になる。

私はそのような女性は「一定数」は存在するという考えだ。セクハラも「男が女にする」だけが該当するものではない。「女が男にする」のもセクハラだ。ところがそれは「都合が悪い」のでマスコミは無視する。マスコミや司法にとっては「女性は男に襲われる立場でなければならない」というのが固定概念としてあるようだ。

 

安倍政権を野党は打倒できると思いますか?

所詮憶測

森友、加計問題で1年以上国会が空転している。もういい加減にしてもらいたいというのが率直な気持ち。

そもそも事の本質は「友人だからえこひいきしたはず」というのが始まり。当の安倍総理は40年来の友人であり「仕事の話を友人関係に持ち込まない」というのが信念だという。

ところが野党は「普通は友人なら便宜を図るのが当たり前」らしい。これが普通という感性がどうかしているし、野党は当たり前にやっていたのだろうと思ってしまう。一般的に仕事の話を友人関係に持ち込んで「この商品買ってくれ」と言われてどう思うか?それが答えではないか。

証人喚問に意味があるのか?

柳瀬元総理秘書官の証人喚問が行われて「正直に言え」と言っているが、野党にとっては結論ありきであって「どんなことを言っても」自白しない限り求めることはないだろう。この手法は問題になった「シナリオを作ってその通りに進ませる」検察のやり方そのものではないか?結果何が起きたか?冤罪である。

このような事を許す証人喚問に意味があるとは思えないし。国会議員が「証人喚問を求めます」というのがここまで頻発すると「数撃ちゃ当たる」ということになり本来必要のない事までやることになる危険性がある。国会も証人喚問を求める際の条件をもっと厳しくする必要性があるのではないか?

獣医師会を証人喚問すべき

意味のない証人喚問が頻発すると書いたが、逆に本来証人喚問すべき人物を呼ばないのもおかしい。

この加計問題で「京都産業大学」が選ばれなかったのがおかしいというのが野党の論調だが。そもそも1校だけとなったのが「獣医師会」の圧力という事を意図的に無視しているきらいがある。

ほぼ半世紀近く新たな獣医学部を創設させてこなかったのが「獣医師会」だし、仕方なく認めても「最低限」の抑えるという手段に出る事ができる組織だ。これは言ってしまえば「利権」そのもの。

ある特定の政治家に献金をして「政治的」に利権を独占している組織。この長を証人喚問すればなぜ1校しか選ばれなかったのかがはっきりするだろう。

野党は政権打倒はできない

政権打倒を野党はできるか?と言えば今の状況では無理と言わざるを得ない。マスコミを使って支持率を下げて、この森友、加計問題で国会を空転させているのをもう一般人は見破っている。

もう一つ根本的に「日本をよくしよう」という気概が今の野党にはない。それに日本国民は「民主党政権」を良くも悪くも経験してきたので野党に政権を取らせるわけにはいかないという気持ちもまだ多く国民意識にある。

それに野党は「日本国民の方を向いていない」というのもある。民主党政権で「国民の生活が第一」というスローガンを掲げていたが、国民の上には「中国、韓国」が付くのかという位中国、韓国を優先させてきた実績がある。その極みが「外国人参政権」。このような事をやってきて「党の分裂を繰り返して、名前が変わったから新しい党です」というのは日本国民を馬鹿にしている。

 

セクハラ問題のマスコミ報道の疑問

女性は有利?

TOKIO山口達也氏の事件が世間を騒がしたが、この事件に対するマスコミの報道は「被害者の女子高生はともかく悪くない、悪いのは山口氏」という論調だ。

だが私はこの事に疑問がある。確かに悪いのは山口氏。だがこれが「女性タレントが男子高校生にキスをした」となればどうだっただろうか?おそらくは「男子高校生」が加害者とされていたと私は思う。

そもそも前提が「女はか弱いもの、男は女を襲うもの」というのがおかしい。女だって性欲はある。逆の事があっても何の不思議もない。

例を挙げれば、痴漢冤罪はこの極み。痴漢されたと言えば、「やっていない」と言っても「女性が泣いているから、女性が嘘をつくわけがない」と言われて男の言い分は一切聞かれない。でもよく考えてみれば、「泣いているから嘘をつくわけがない」と言うのは男性目線での理屈だ。これが「男性が泣いているから嘘をついていない」とはならないのはなぜか?それは男性目線で「泣くなんて男らしくない。どうせ嘘をついている」という感情が先に立つからだ。

痴漢や強制わいせつは犯罪なのは間違いない。だがそれを悪用する人もいるのは確か。それを一切考えず。女性の言い分を100%信用するのはおかしい。

これは福田事務次官の問題にも当てはなる。「音声データがあるから間違いない、女性が勇気を出して告発している」という事だけが根拠。では音声データの分析はしたのか?全ての音声データを提出するべきという論調にならなければおかしい。

それに山口氏の事件に女子高生は「警察に被害届」を出したが、テレビ朝日の女性記者は「被害届」を出していない。そんなに心に傷を負ったというのならなぜ出さないのか?

その理由はただ一つ。「政権を倒す」事に利用できると考えたから。警察に被害届を出せば、全てのデータを提出しなければならないし、場所、日時なども徹底的に調べられる。そうなれば都合が悪い事も明るみになる。そうなれば都合が悪いからに他ならない。