ネットの情報は信用できないというマスコミの主張

ネットは信用できない?

インターネットというものが普及してきてからの問題がインターネットは信用できるか?という事です。

マスコミは「ネットは匿名性が高いから信用できない」という論調です。ではマスコミが「記事を書いた人間」の名前を公表しているのか?と言えばそんな事はありません。その点ではネットもマスコミも差はありません。

なぜマスコミはネットを目の敵にするのかと言えば、ネットが普及する前はマスコミが情報をコントロールしていたと言っても過言ではありません。ところがネットの普及でそれが崩れてしまった。端的に言うと国民をだますことができなくなったという事です。

それは選挙で表れます。民主党政権ができた時に事を思い出してください。この前の「麻生政権」の時にマスコミは「麻生総理が漢字を読めない、カップラーメンの値段もわからない」という事に終始しイメージを下げていました。私に言わせれば「こんな事は些末な問題」であり政策には一切関係ありません。しかしマスコミは「自民党政権」を終わらして「野党政権」の樹立をしたかったのでしょう。

ここで一つの問題が出てきます。マスコミが望む政権を樹立するためにはこのような世論誘導をやっていいのか?という問題です。

公正中立な報道がマスコミの本来あるべき姿です。しかしながら公正中立とは名ばかりで骨抜きになっています。それは現在も継続しています。

ではネットはどうでしょう?会社という縛りもなく忌憚ない意見が入り乱れています。もちろん問題がないわけではなく、誹謗中傷などもあるのも事実です。しかしマスコミに言論統制されていたのに比べれば「本音」で意見が言えるのは長所と言えるでしょう。

ネットに取って代わられるのでは?

トランプ大統領に代表されるようにSNSは今や重要なツールです。政治家が有権者に直接に自分の考えを言え、それも歪曲されることもなく伝わるのは大きいです。将来的にはネット投票と言うのも現実性を帯びてきます。

しかしこれに強硬に反対しているのがマスコミです。反対する理由はただ一つ。「世論誘導」ができなくなるからと「存在意義」が無くなるからです。私は正直マスコミの記者の意見なんて聞きたくありません。なぜならば「社の意向に沿った意見、質問しかできない」からです。それならたとえ左であっても「政治評論家」のほうがましです。個人の名を晒している以上「言った事には責任を取らなければいけないから」です。

いずれ紙媒体である「新聞」は「電子版」になるでしょう。テレビも偏向報道をしているようなら衰退していくのは避けられません。それを食い止めるには本当の意味での公正中立な報道をするしかないと思います。

ホンダが来季レッドブルにPU供給決定

来期は最大のチャンス

2015年にF1に復帰したホンダ。これまでは思うような成績を挙げられていない。だが来季は最大のチャンスになる。

F1のトップチームレッドブルにPUを供給することが決定したのだ。あれ?マクラーレンはトップチームではないの?という意見もあるだろう。私見としてマクラーレンはもうトップチームとは言えない。なぜならばロン・デニスというカリスマを失ったマクラーレンは没落する一方だからだ。

これはスポンサーの獲得に現れている。かつてはマールボロ、ウエスト、ボーダフォンなどのメインスポンサーがいたが現在は不在。相当活動資金に苦しんでいるのは容易に想像できる。さらにホンダ時代に活動資金をバックアップしてもらっていたのでその資金が無くなれば、開発にかける予算は縮小される。F1での予算の減少は即、成績に跳ね返る。成績が出ないとスポンサー獲得の材料がなくなるからだ。という事は成績の向上は望めないという事になる。

かたや来季からパートナーになるレッドブル。元々はジャッキー・スチュワートが創設したスチュワートレーシングが母体。そしてジャガーレーシングとなり現在はレッドブル。

当初は成績が芳しくなかったが、エイドリアン・ニューウェイという天才デザイナーが来てから成績は急上昇。チャンピオンチームにもなっている。さらに安定した資金もある。数々のスポーツイベントのスポンサーにもなり、最大手のエナジードリンクメーカーのレッドブルがチームの母体でありスポンサー活動も順調。今期PUを供給しているトロ・ロッソは兄弟チームであり、今期はホンダの力量を推し量る為に供給したようなものだ。

ホンダの懸念は年間のPU供給が3基に制限された事。昔はレース毎にPUを交換していたがコスト削減の下に制限が加えられた。18戦あるとすれば単純に1基当たり6戦保たせなくてはならない事になる。距離にして1800キロ。さらに高回転で回し、パワーも出さなくてはならない。なかなか困難な課題だ。

ホンダがレースに出る理由は「レースで得た技術を市販車に還元する」という事に尽きる。それはF1だけではなくどのカテゴリーでも共通。だからホンダには過去の栄光にとらわれずにどんどん挑戦してもらいたい。ここで本田宗一郎の名言を一つ。

「失敗を恐れるより何もしない事を恐れろ」

東海道新幹線事件の報道姿勢

新幹線で…

新幹線で通り魔事件があり「3人が死傷」した事件。亡くなられたかたには哀悼の意を表します。このような事が起こると「安全管理はどうなっている」という意見が出ます。しかし現実的に「飛行機のような手荷物検査」はできません。

理由は「過密運行」だからです。これを実行すれば「新幹線の運行本数は半分以下」になるのは明らかです。それでもいいという人はまずいないでしょう。少し遅れただけで「サービスの低下」と批判するマスコミがこれに噛みついてくるのは容易に想像できます。

容疑者は自閉症?

容疑者は自閉症という報道がされていますが、この報道はいかがでしょうか?日頃「差別ガー」と言っているマスコミがこのような報道をするとは信じられません。この報道は「障害者差別」そのものではありませんか?

自閉症だからこのような犯罪を起こすというのはありません。適切な療育、支援をやれば症状を改善することはできます。この容疑者が自閉症であるのならば「適切な対処をとられなかった」というある意味被害者とも言えます。とはいえやったことが許されるわけではありませんが…。

全国民に検査をするとでも?

このような自閉症の人物を野放しにするなという意見は必ず出てきます。ではそののような人物をどのように判断するのでしょうか?

全国民に「検査」を義務付ければいいと思います。そうすればそのような人の望む自閉症などの人物を隔離する事ができるでしょう?しかしこのような事をやるとなれば「猛烈な反対」をするのは明らかです。

それは「自分も実はそうなのではないか」とわかってしまうという事への恐怖感もあると思います。発達障害が大人になってわかってしまうという事も少なくない昨今、結構な数に上ると想定されます。

まとめ

今回の事件は障害のあるなしではありません。では健常者がそのような事件を起こすことはないのか?と言えばそのような事はありません。だから障害があるからこのような事件を起こしたという報道は偏見を招くので控えてほしいと思います。

 

自動二輪の卒検

落ちました(笑)

昨日、自動二輪の卒検があり落ちてしまいました。言い訳になるかもしれませんが、「緊張とプレッシャーに負けた」というのが本当のところです。

クランク、S字、坂道、急制動、一本橋という課題は緊張しながらもクリアできたのですが、「ウインカー消し忘れ、エンスト」が原因。細かい所での累積が響いての結果でした。しかしそれには理由があります。

バイクの癖。私が乗ったのが、ギヤが落ちにくいモノであったこと。それに緊張感が重なってエンスト…。その後は負の連鎖。私の教習所では「ウオームアップ」というのがありませんでした。しかしいろいろネットで検索して見ると、一周程の走行後に検定開始という所もあるようです。

その点は別室に呼ばれた時に「偉い人」にしっかりクレームを入れておきました。色々な人が乗る教習車ですからねぇ、変な癖がついていてもおかしくないです。

次回は二週間後

仕事の関係上次回は「二週間後」になって、その前に一時間「補習」を受けなければなりません。あまりにも早く補習を入れてしまうと「感覚を維持」するのが困難になるので、前日に入れる事にしました。あとはメンタルの問題。緊張感がないというのはあり得ないですが、緊張しすぎというのもよくないと実感したのは良い経験になったと思います。もう一つは「卒検というのはこういうものだ」とわかったのも収穫です。

ポジティブシンキング

落ちたものは仕方がないと割り切ってポジティブに行こうと思います。「またバイクに乗れる」、「練習の機会をもらった」という発想の転換です。正直、余計なお金がかかるのは痛いですが…。

落ちた人に対して「センスがないからやめろ」という声もネット上では見られます。センスとはいったい何でしょうか?極論を言えば,センス=才能ととらえれば「センスのある人ばかり」なら交通事故は起きないはずでは?

よく教習所で聞くのが「一回で通る人ほど事故率が高い」という事。私も自動車は一回で取っていますが、御多分に漏れず「事故の経験者」です。二輪は事故が起きたら「ダイレクトに体に跳ね返ってくる乗り物」なのでそれをいい方に捉えて二回目に臨みたいと思うます。

今日のTwitterから

天安門事件から29年

本日6月4日は天安門事件から29年目の日です。1989年の6月4日に「民主化を求めて」学生が中心となって蜂起した運動の事を言います。

この民主化運動に危機感を持った「中国共産党」が軍を出動させ、運動に携わった人を多数殺害しました。死亡した人数は「中国政府」の発表では319人と発表されていますが、実際はもっと多いと言われています。

中国では日本の公共放送 NHKを見る事ができますが、天安門事件を伝えるニュースとなった時に「画面が真っ暗」になったそうです。これは逆に見ると中国共産党が民主化運動を恐れている表れとも取れます。有識者は「あれだけの人口をまとめるのは一党独裁でないとできない」と言っていますが、果たしてそうでしょうか?単に、中国を批判する事の出来ない「日中記者協定」に縛られているだけだと思います。そう遠くない未来にインドが中国の人口を抜くと言われています。インドが様々な問題がありながらも「民主主義」でやっている現実を見れば、「中国ができない理由」はありません。

中国という国は「中国共産党」の独裁国家です。日本の報道を見ると「さも自由経済で資本主義」のような誤解を与える報道になっていると言わざるを得ません。その反面。日本の安倍政権は「長い期間やっているのは独裁」のような報道。少なくとも「選挙」という手段で選ばれたのですから「独裁」ではありません。「数の力で押し切るのは独裁」という意見もあります。しかしながら「民主主義」とは「数が力」であることは疑いのない事実です。野党もそんな事を言っているのならば「数で対抗すればいい」と思います。

ただこれには落とし穴があります。「ただ頭数をそろえただけでは意味がない」という事です。希望、民進が合併し国民民主党が誕生しましたが、これがまさにそれです。選挙で過半数をとらなければ政権をとることはできません。しかし今の状況ではそれはないでしょう。このように野党が「混迷する事」が与党にとって「手助け」になっているのは皮肉ですが…。