人のミスを追及する事が正しいのか?

人間とは

人間はミスをする動物である。しかしながら、ミスを責める人は多い。結果だけを見て「お前が悪い」と言い、そのプロセスの事を言うと「言い訳をするな」と弁明の機会まで奪うのはおかしいと思う。

ミスをした本人からすれば「時系列」に則って説明している。だがもしミスの原因に「ミスを責める人」が絡んでいたらどうだろうか。「自分もそのミスに加担している」と言うのを必死に隠そうとするのではないか。

要は自分の評価を上げるために「悪者」を仕立て上げるという事だ。そうすれば自分の立場は安泰になる。だからこそ「言い訳をするな」という便利な言葉が有為まれたのだろう。

しかし「ミスを責める人」がミスをすればどうなるのか。「あいつがこう言ったから」、「あいつがミスをしたから」と自己保身に走る。これこそ「言い訳」ではないのだろうか。

このような人は「社内政治」に長けていて上役との関係も良い。また上役も「彼に弁明の機会を与えるべき」と必死にかばう。このような行動を見ると「結託して何か悪い事をやっているのではないか」と疑いの目を向けられざるを得ない。実際これで不正が明らかになる事もある。

自分勝手

他人のミスを責めていて「自分がミスをすれば」立場はない。「偉そうに言っていてこれか」と陰口を叩かれる事も少なくない。

だがこのような人は「その陰口」に「思いやりがない、お前だってミスするだろう」、「ミスをした人を責めるなんて人としてどうかしている」と言い出すのが定番。

だが今までの自分の言動が全て「ブーメラン」になり「何言ってるんだこいつは」となって社内では浮いた存在になるのは間違いない。

叱るのと怒る事は違う

世の中の人が勘違いしている事がある。「叱る」と「怒る」を同列に扱う人が多すぎる。

叱るというのは「淡々」と感情的になる事なく「こうやったからこうなった」と原因を究明する事、対して怒るというのは「お前のせいでこうなった」と感情を表に出すことを指す。

どちらが論理的だろう。感情を表に出して罵倒すれば「言った本人」が満足するだけで「改善」はない。おそらく「次の機会」はないだろう。その根拠は「またミスをする」という思い込みだけ。

感情的な人は「俺はこうやってきた」という自分の経験だけが拠り所。しかしこのような人は「育成」はできない。単に部下を委縮させるだけだ。人間とは不思議なもので「流れが狂うと悪い方向に行く」事が多い。流れと言うのはそれほど重要だ。

上司とは「流れを良い方向」に導くのが重要な仕事だ。あなたがもし上司ならば第一の仕事は「方向性をしっかりと定め、流れを良い方向にもっていくこと」。

流れを悪くする人がいるのならば「排除」するのも致し方ない。だが決して「お前は無能だから」とかマイナス要素を言ってはならない。必ず「プラス要素」を言い「今回は外れてもらうが必ず君の力が必要になるときが来る」とポジティブになれる言葉をかける事が次につながる。

「このような事は現実ではありえない」という人もいるだろう。では、だから「現状維持」がいいのか?「私はこうやってきたから今がある」と言う人もいる。でもそれが「合う、合わない」は全くの別問題だという事は覚えていてもらいたい。

非常識

常識とは?

あなたは「非常識」と言われたことはないだろうか?非常識の対極に常識があるのならば、「常識」とは一体なんだろうか?

「常識」とは世間一般で正しいと思われている事と経験の積み重ねで得たものと私は理解している。

世間一般で正しいと思われている事とはマスコミが流す情報の事を指す。という事は一般大衆を「ミスリード」することもマスコミは可能だ。昔「長野サリン事件」と言う事件があってマスコミは『第一発見者のK氏を犯人」として断定して報道した。報道された情報を見聞きして「やっぱりK氏が犯人」と言うのが常識になった瞬間だ。

その報道でK氏は「警察から犯人と決め付けられ」非常につらい思いをしたという。ところがしばらくして起きたのが「地下鉄サリン事件」。この捜査が進むうちにK氏が犯人ではなく「オウム真理教」が犯人という事が明らかになった。

となると「常識」というものが「犯人はオウム」に切り替わる。K氏に謝罪する事もなく(のちにイヤイヤながらに謝罪)オウムの犯罪を前面に出し隠ぺい工作に走った。それはマスコミだけでなく一般市民レベルでもだ。

K氏にしてみればたまったものではない。さんざん「お前が犯人」と言われて事件の全貌が明らかになって「間違いだった。ごめんね」で済むわけがない。さんざん「犯人はK氏」と言っていて「私は実はオウムが犯人ではないかと前から思っていた」とか酷いのになると「疑われるやつが悪い」と開き直る始末。

となると「常識」とはいくらでも「作れる」という事になってしまう。

経験の積み重ねと言うのも、最初は親。学校の教師、会社の上司という段階を踏む。しかし「常識のない」人がその中にいれば「立派なDQN」が出来上がる。今は煽り運転などの「非常識な」人が多い。

おそらくは「経験」の過程で「煽り運転」が常識になってしまったのだろう。もしくはそれが「カッコいい」と勘違いしているかどちららかだ。

非常識が常識に

会社や学校で「あいつ常識ないよな」と言う人がいる。前項のようなのは問題外としても「学業、仕事」では非常識でいいと思う。

その理由は「常識的」にやっていても「成果が出ない」からだ。日本人は傾向として「形式」を重んじる傾向にある。「今までこうだったから」と妄信的にそれが常識と思っている人のなんて多い事か。それで「成果」が出ないのか「気合」が足りないからだ、と暴力などの行動に走る上司や教師が多い。

気合いさえあれば「10の力が11にも12にもなる」が常識と思っている人は「それで成長」してきたから他の人も…と思っているのだろう。そこで他のやり方で「成果」をだしたら「今までの自分が全否定」されたことが我慢できなくなり「パワハラ」に走る。

しかし成果を出している以上「分が悪い」のは向こう。「常識が非常識」になり「今まで非常識」といわれていたのが「常識]になる。

 

冬の交通安全運動始まる

交通安全はわかるが…

冬の全国交通安全運動が始まりました。この運動のテーマは「飲酒運転の根絶、高齢者の事故防止」が掲げられています。

飲酒運転は今や重大な犯罪、という認識は誰もがご存知だと思います。だがこのような事態になっても「飲酒運転」はなくなる気配はありません。こう言っては何ですが「どんなに規制を厳しくしても」なくなる事はないでしょう。運転手のモラルがないのであるのならば「機械的に」運転できなくなるようにするしか方法はないでしょう。このような事をやると「こうするべき」と言う人と「人権の侵害」と言う人がいます。人権の侵害?他人の人権を奪おうとしているのに「人権」を主張する論理矛盾に気付いてはいないのでしょうか?

もちろんそのような人は「事故を起こした時の責任はとれる」覚悟はあるのでしょう。まさか「自分が事故を起こすわけがない」、「事故を起こす奴は馬鹿」と思っているとは言いたくはありませんが…現実問題としてこのような思いを持っているのは「事実」だと言い切れます。

免許を持っている人なら必ずあります「免許更新」。その時に最近は「飲酒運転のビデオ」を見せられます。それを見ると飲酒運転の末路は悲惨です。「家庭は崩壊、仕事も奪われ、民事的に損害賠償、刑事的には服役」と言う何重もの苦難が待ち受けています。

事故を起こさなくとも「摘発」されても「ほぼ同じ」です。民事的な損害賠償、刑事的な服役がないだけで、「免許は取り消し、仕事は奪われ、家庭も崩壊」するのは火を見るより明らかです。その覚悟があるからできるのでしょうね。

もう一つの「高齢者の事故防止」ですが、今の警察は「歩行者は弱者」という定義の乗っ取っています。しかし運転者から見れば「強者」にもなります。

その理由は、前述した「歩行者は弱者」という異常なほどの「歩行者擁護:です。赤信号を無視するなんてのは当たり前。自転車も一方通行逆走、都合のいい歩行者信号使用とひどいものです。

これで事故が減るとは決して思いません。どんなに歩行者側に非があっても「運転手は歩行者を守る義務」があるという理由で運転手は拘束されます。では歩行者側に非があり運転手が死亡しても「逮捕されることはまれ」です。一部悪質なのは逮捕されるのはありましたが、ほとんどは起訴されることはありません。

これは「差別」では?と思います。

高齢者は「頭と体の動きが一致しない」という事をわかっていないのでしょう。だから事故が起こるのです。免許更新の時に「交通ルールのわからない高齢者もいるから気を付けるように」と言われたことがあります。ならばそのような人を「外に出す」のは危険です。「それだけで高齢者を家に閉じこめるのか!」と批判する人もいるでしょう。ではなぜ「高齢者の認知機能検査」があるのでしょう?運転者と歩行者という違いだけで同じ「高齢者」です。警察は何をやっているのでしょう。高齢者を一同に集めて「交通ルール」の講習などをやってもいいのではと思います。

もう一つが道路の安全対策が不徹底という事です。横断歩道以外での事故が多いと思いますが、「ガードレールの設置」が不完全ですし「街灯の設置」に不十分です。

予算がないと言いますが「無駄な道路工事」が多いとは思いませんか?年度末近くになると「予算の消化」の為に道路工事が行われるのはお馴染みの光景ですが、同じ道路工事なら前述した2つの工事をやった方がまだ意味があります。

まとめ

飲酒運転というのは今や重大な犯罪と言うのは誰もが知っている事ともいます。「見つからなければ~」と言う気持ちでやったら代償は非常に重たいものになります。その覚悟があるのならだれも止める事はありません。(飲食店は責任が問われるので別ですが)。

交通安全は運転者だけでは成立しません。歩行者及び自転車が協力してこその物です。「こっちは弱者だから」と言う気持ちで好き勝手にやっていれば悲惨な交通事故は無くなる事はないでしょう。

綺麗ごとばかりの世の中

そんなにいい人に見られたい?

ヘイトスピーチ、人種差別、LGBTなどが問題視されているが、それを声高に叫ぶ人はそのこと自体が差別であるという事に気付いているのだろうか?

この事を差別という事は、もう一方の主張を認めない差別主義者と言うことにはならないだろうか。そりゃあ差別はない方がいい。だがこれは人間の根底にある物に他ならない。では、社会で言うハラスメント、学校で言うイジメは差別ではないのか?

ハラスメント、イジメとごまかしているが、内情は「脅迫、人格否定、身体的暴力」と枚挙にいとまがない。加害者側の理屈は「気合を入れるため,仕事だから」と言う理屈にもならない「言い訳」を言ってくる。そのような人は事が明るみになると、「こんなことで、根性がない」と自分の行為が正しいかのように言ってくる。それに会社側も事を大きくしたくないから「嘘に嘘を重ねる」と言う事態になる。

日本人特有の「和」の精神を悪用するのも特徴だ。こんなことが明るみに出たらとんでもないことになると恐れ「かん口令」を敷くのも常套手段。某広告代理店の社員の自殺で社員にインタビューしようとしても「何も答えない」と言うのがその証拠。

私は思う。そんなにいい人に見られたいのか?と。大多数の意見がまかり通る世の中に何の疑問も持たず、「安倍一強」は許さない、少数派の意見も聞くべきと主張するのはおかしいと思わないのか?単に政治に矛先を向けてごまかしているだけではないのか?

マスコミの責任は?

このような風潮を作った一端はマスコミにもある。中国、韓国の悪口を言わないようにという命令が下っているかとしか思えない「放送内容」。実際、マスコミにも「在日」の人たちが多く入り込んでいるのは周知の事実。この国のマスコミは「乗っ取られた」と言ってもいいだろう。このようなマスコミが「差別」はいけませんと言い、「日本が右傾化している」と危機感をあおっている。まるで左傾化が正しいかのように。

日本が右傾化すると困る国はどこか?それは「中国と韓国」だろう。日本が憲法改正をして自衛隊を軍隊と定義することを一番に恐れている国はこの2国。だからマスコミを使って「憲法改正すれば徴兵制になって国民は戦地に送られる」というデマを流す。

良く考えてもらいたい。今の戦争は「コンピューター」が主流。自衛隊も世界一統率の取れた「軍隊」と評されている。そこに「一般人」が徴兵制で入ったとすれば「統率」は滅茶苦茶になるのは目に見えているし、軍事ミスが頻発するのは明らか。先の大戦で「日本軍」の統率が保たれたのは「暴力による押さえつけ」も確かにあったと思う。しかしそうしなければ統率は保てなかったのも確かだろう。人間は極限状態になれば「思考は幼児並み」に低下すると言われる。子供は天使と言うが、「小さい悪魔」とも評される。話せばわかるというのは幻想。

まとめ

人種差別はいけないという事は「同じ人種ならいい」と取る人がいるという事、だからイジメはなくならないし、

 

石油が高いです

1年後には…

来年の10月に消費税が8%から10%に上がる予定です。安倍総理は「リーマンショック級」の事が起きない限り予定通り上げると明言しています。

今年は日本各地で災害が多くその復旧には時間がかかるでしょうし、来年が「同じような災害」が起きない保証もありません。私の住んでいるのは北海道です。北海道はご存知のように「北海道胆振東部地震」があってその復旧の真っ最中です。それにこれからは厳しい冬に突入します。そこで必要になってくるのが「石油」です。

今回の地震「胆振東部地震」がもしも冬に起きたとすれば凍死者が続出するでしょう。その原因はコンセントから電源をとっているストーブがほとんどという事です。ポータブルストーブを遣えばいいのでは?と言う意見もあると思います。しかし賃貸住宅を中心にポータブルストーブの使用禁止を契約条項に入れているところも多いのも事実です。それは火災の懸念と結露防止が原因です。

消し忘れ、ストーブの転倒などで火災になるリスク、結露による建物の老朽化の加速は確かにオーナーには懸念事項でしょう。しかし凍死者を出しては身も蓋もありません。賃貸なら「事故物件」になってしまうのですから。暖がなければ命は守れません。究極は「室内で焚火」をやる人も出ると思います。

石油製品の価格が高いのも問題です。ガソリンの現在の価格は150円台半ば、灯油は90円台位です。消費税を入れれば6割ほどが税金です。以前民主党政権の時に「暫定税率廃止」を掲げて一時的に無くなって「名前を変えて」復活した事があります。それに消費税を入れるのは二重課税。消費税を入れた理由が「売れなくなるので対策にカネがかかるから」と言う意味不明な理由。消費税が免除されるわけでもないのに。

ですので、ガソリン価格は消費税以外の税金をなくせば「少なくとも半分」になるでしょう。

書いている最中にも地震

本日21時43分にも余震とみられる地震がありました。時間は大した事はなく「2秒」くらいです。でもやはり「怖い」ですし、胆振東部地震を連想させ子供は「怖がって」います。

もう一度言いますが、もし冬に同じような規模の地震になれば現実的に「凍死者が出る事は」間違いありません、外の気温は10度前後ですので今のところはない思いますが、状況によってはあり得ます。

 

今日も震度4の余震?

夕方に震度4

本日9月30日 17時54分頃胆振地方中東部を震源とする地震が発生しました。この地震は9月6日の北海道胆振東部地震の余震だろうと思いますが、北海道に住んでいる私とすれば余震だろうが本震だろうがどっちでもいいと言うのが本音です。札幌市内は胆振東部地震の被害は「ほぼ」復旧しつつあります。ほぼと言うのは、報道で伝えられていた「里塚地区」の復旧がまだまだだからです。

今回の余震は特徴として「下から突き上げる」ような揺れ方をするという事です。この揺れ方は「胆振東部地震」の時と酷似していると私は感じます。札幌市の一部は胆振東部地震の震源からの断層とつながっているそうです。だから札幌市内でも震度がまちまちなのでしょう。

同じ思いはしたくはないが…

今回の余震は胆振東部地震の影響はまだ終息していない」という事を如実に表しています。正直、停電、断水、ガスが使えないと言うのはもうたくさんであり、さらにこれから冬に入る北海道にとって電気、水道、ガスが止まるという事は「死」に直結する重要な事です。

それにもし冬に震度5の地震が来たら、確実に火災が発生します。火災の被害がそれほど酷くなくとも、その後に待っているのは「凍死」の恐怖です。ほとんどの家はコンセントから電源を取る「FFストーブ」を使っている現在、停電はすなわち暖房機能がなくなる事を意味しています。

ですので、地震後はコンセントから電源を取らなくてもいい「電池式」のストーブの人気が高まっているそうです。しかしここで一つ問題が出てきます。それは…灯油を常備しなくてはならないという事です。灯油に引火する可能性とガソリンスタンドが品薄になるという事態が想定されます。

非常用具+冬に対する備えを

北海道に住む人ならスキー用のウエアを持っていると思います。それが冬の災害には非常に役立ちます。

冬季の災害に備えて改めてチェックする事をオススメします。意外に防寒性に優れ保温もしっかりしているので役立ちます。もう一つが一斗缶などがあれば暖を取る事もできるので一つくらいはあった方がよいでしょう。

胆振東部地震から2週間

2週間経って

胆振東部地震から2週間と少し経ち、私の周りはほぼ「地震前」の平静を取り戻しつつあります。生活面で言えば「スーパーの品ぞろえ」も元になりつつあり、陥没した道路も修繕が終わってきています。

しかしまだ避難生活を強いられている人、家が壊滅的な被害を受けた人もいるのも事実です。今回報道でよく取り上げられている札幌の「里塚」地区。そこはまだまだです。まず道路が壊滅的な被害を受け、住宅が傾き、ライフラインがダメになりました。その里塚地区。札幌の清田区という所にあります。この字を見て思いつく所があると思います。それは何でしょうか?

清田と言う字に「サンズイ」が入っている事です。

サンズイが入っているという所は「湿地帯」か「川、もしくは埋め立て地」と言われるのが一般的です。

事実今回の被害の大きかったところは「田んぼ」だったところを埋め立てて造成した土地だったそうです。今これで被災者と札幌市がもめています。

市のこのような経緯の説明が一切なかったという所がメインのもめ事です。札幌も住宅の土地がなく本来住宅の建てないようなところにも住宅を建てることを許可してきています。ですから「同様な被害」に遭う可能性は大きくなってきています。

跡えば「川に近い所」を住宅地にしたりしています。もし氾濫が起きたらと考えると恐ろしいです。それに液状化のリスクも多大です。

確かに「何もなければ」いいところでしょう。夏は花火も見る事ができ、河川ぶちをジョギングする事もできます。しかし「災害には」弱いでしょう。

今回の地震で露呈した事

音階の地震で露呈したことは何かと言えば電子マネー、クレジットカードは役に立たないという事です。

オンラインシステムが壊滅したら頼りになる物は「現金」です。どんなに電子マネーに高額が入っていても使えません。ですから「ある程度の現金」を常に常備しておくことをお勧めします。

それと高層マンションもエレベーターが使えなければ厄介な代物に変貌します。だから予備電源とワイヤーの強化をしていただければと思います。

あと2か月遅く地震が起きていたらと思うと恐ろしいです。冬は北海道はストーブを「つけっぱなし」で寝る事も珍しくありません。もしこのような地震が起きたら…。火災があちこちで起きるのは容易に想像できます。

耐震装置が働いて止まるとは思いますが、それも絶対ではありません。

 

なぜいじめはなくならないのか?

なくならないのは当然

「イジメは良くない、命が大事」と言うのは誰もが言えます。子供にそのような事を言っておきながら「大人」はどうでしょう?

セクハラに代表される「ハラスメント」。これはすべて「イジメ」です。日本は伝統的に「舶来コンプレックス」があり、「横文字」にするときは本質をごまかす時です。要はイジメと表現すれば「子供たちにいじめをやめよう」と言う言葉が信用性が無くなる事を危惧しているにほかなりません。

大人がいじめをやめない。これで子供のいじめが無くなるでしょうか?大人は「みんな生活があるから」、「仕事だから」と言う理屈をつけますが、それで免罪されるわけがありません。もし仕事ができないのであれば「この仕事には向いていない」という事で辞めればいいだけです。「生活がある」という事だけで会社に「奉公」しても待っているものは「破滅」です。

いじめをする人

いじめをする人の心理は何でしょうか?それは「嫉妬」と「脅迫思考」です。「あいつが上手くいっているのが面白くない。だから足を引っ張ってやろう」というのと「自分の地位が奪われる」と言う思考です。

このような人の重大な欠点は自分のスキルを上げようとしないという所です。自分の実力を挙げればいいのにもかかわらず、そんなことに労力を割くのは愚かです。このような人は何もしなくても自然に「消えていく」運命です。

大抵このような人は「普段厳しい事を」言います。ミスをすればいつまでもネチネチと言います。しかし自分がミスをしたらどうでしょう。助けてくれと言っても誰も助けてくれないと言い始め、助けなければ人として最低だと言います。自分が「人として最低」な事をしてきたのにもかかわらずです。

自分の実力を高めていればこんなことにはならなかったのに、まあ自業自得ですね。

お天道様は見ている

「お天道様は見ている」と昔からよく言われます。それは「ある」と思います。イジメる人は「派手な事を好み、地道にする仕事は嫌がります」。そして地道にやっている人を「何やってるの?」と馬鹿にします。

そこで卑屈になってはいけません。結果的に「地道に」やってきた人は「蓄積」が違います。イジメているような人は「大きなミス」をして会社を追われる事になるでしょう。

安倍総理は独裁者なのか?

独裁者?

Twitterで「安倍総理は独裁者」と言うハッシュタグが付いたのが話題になっています。独裁者と言う表現は「いくら嫌いとはいえ失礼」だろう。独裁者と言うのならば「中国の習近平、北朝鮮の金正恩」の事を批判しないのはおかしいだろう。もしこの2国で「独裁者!」と言えば、あっと言う間に拘束されて「拷問され死刑」に処されるだろう。

それがなされない「日本」は「独裁」とは程遠い。本当の独裁とは言論の自由がなく政府批判などありえない事を言う。

では民主党政権の「鳩山、菅、野田」元総理は独裁ではないのか?好き勝手に「外国人参政権を導入しようとしたり、財務省の口車に乗り消費税増税を決めたり」するのも独裁と呼ぶに相応しいのでは?

「安倍が気に入らない」から独裁と言っているのに過ぎない。どの政党を支持するかは「個人の自由」です。しかし気に入らないからって「独裁」と言うのはどうかと思いますが?

疑惑があるから

森友問題、加計問題があるから、誠意をもって答えていない、官僚が忖度している、というのもどうかと思う。「国民は納得していない」というけども、そもそも結論ありきなのだから「どんなに否定しても、認めるまで国民は納得していない」となるのは自明の理だろう。

かたや国民民主党党首「玉木雄一郎」氏の獣医学会の疑惑はスルーと言うのもおかしな話。この問題も「国民は納得していない」だろうし、野田中央公園の疑惑の某議員も「説明責任」を果たすべきだ。与党だから問題で、野党は関係ないという理論がまかり通るなら「国会議員を辞職」すべきだろう。どちらも国民の信任を得て国会議員になっているのだから条件は同じ。

まとめ

独裁と言うのならば「歴代の総理は皆独裁」と言って差し支えない。民主党政権は「民主主義」で自民党政権は「独裁」と言うモノでもない。おそらく民主党政権で同じことがあったら「強いリーダーシップ」を持った総理と絶賛しているだろう。

災害多発で消費税増税はどうなる?

台風、地震…

今年は日本に災害が襲い掛かっています。西日本豪雨、台風21号、そして北海道胆振東部地震…。2019年10月に「消費税増税」は決定しているが、「リーマンショック級に経済問題か未曽有名大災害がない限り」実行すると言っていたのは周知の事実です。

現実的にこのような災害があった以上「消費増税はできる状況にはない」と言うのが私の結論です。しかし「増税しないと日本は破綻」する、と不安を煽る勢力がいるのも確かです。

では、「増税すれば破綻しないのか?」と言えばその保証はありません。事実3%から始まり、5%、8%と上げていき10%にしても「まだ足りない」となるのは火を見るよりも明らかです。必ず例として挙げられる「北欧」。福祉が手厚いのは確かですが、その半面「自殺者が多い」と言う報道はあまりされません。それにもう一つは増税して財政再建した国はないという事。増税すれば「消費意欲」は必ず下がります。それを上げるにはどうすればいいか?実に単純な事です。消費税を廃止して物品税を復活させればいいのです。

「金持ちから税金をもっととるべき」という意見が「特に共産党」からでます。物品税と言うのは「贅沢品」にかけられるもので「金持ちに税金を多く負担してもらう」という事に合致します。贅沢品とはわかりやすく言えば「自動車の3ナンバー」車です。消費税導入前には「贅沢品」であり「金持ちしか乗れなかった」のです。ところが今は「3ナンバー」が主流になっていて5ナンバーが衰退の危機になっています。金持ちから税金を取りたいのなら「物品税の復活」は不可欠です。

「消費税は税の公平性から最適だ」といわれます。本当に公平でしょうか?金持ちも庶民も「同税率」で負担するならば「金持ちの方が負担割合が低い」のは当然です。金持ちだって「毎日松坂牛や高級食材」を食べているわけではありません。実際本当の金持ちと言うのは「非常に質素」なものです。テレビで見る「高級外車を何台もあって、豪邸に住んでいる」人は確かにいますが「金持ち」ではなく成金なのでしょう。そのような人は「短期間で身を滅ぼす」ので相手にしない事です。

消費税廃止を

日本の景気を回復させるのは現在の税制では「非常に困難」です。これだけモノが行きわたったら「購入意欲」が下がるのも当然。新しい話題性がある物は「高い」しそれに消費税の負担もあります。

では消費税が無くなればどうでしょう?商品単価は「下がり」ますし、「頑張れば手に入る」と言う目標も現実味を増してきます。購買意欲が上がり消費が増えれば「税収」は消費税増税分くらい賄えるのではないでしょうか?「他の部門に予算が割けなくなる」というのもよく言われます。高齢者は頑張ってきたからというのは「団塊の世代」より上の世代の方は当てはまると思います。しかし団塊の世代は」学生運動をやってバブルを作り、崩壊させた、言ってしまえば好き勝手にやってきた世代です。その責任はあると思います。「戦争は~」と言っている割には戦争を体験しているわけでもないし、今の日本を作った半分以上の責任はあるでしょう。

これからの若者は「年金などなくなる」と言うのが現実味を増してきます。「俺達だけ良ければいい。あとは知らん」では無責任ではありませんか?

まとめ

消費税は廃止すべきです。こんな数字を勝手に変えれる税制は「財務官僚」の食い物になるし、利権になるだけ。そもそも消費税を取りながら「金持ちから取る」と言うのは虫が良すぎ。物品税を復活させれば「金持ち及び成金」から強制的に取れる事になる。これをさせないのは「経団連」なのだろうか?