自転車の無灯火のイエローカード(指導警告票)が年間49万人にもなっていた件

自転車は軽車両

自転車は車両区分上「軽車両」に分類されることをご存じだろうか?免許もなしに乗れるので車両と言う認識のある人は少ない。自転車は便利な乗り物だ。ガソリン代はかからないし、自動車も対な税金もない。だがその手軽さから安易に扱ってしまうと手痛いしっぺ返しが来ることになる。

今でこそ自転車の保険があるが、昔はそんなものはなかった。よく重大な事故を起こさなかったものだと今になって思う。

自転車で人を撥ね殺してしまえば何千万いや何億もの損害賠償を払わなければならない。とてもじゃないが保険に入らなければ払える金額ではない。自動車には自賠責保険にお加入が義務付けられているが、自転車にはそれに相当するものがない。逆に言うと、街中を走っている自転車の何割が保険に入っているのだろうか?現状はほとんどの自転車が無保険車だ。このような状態を放置している警察も怠慢ではないのだろうか?

車から見たら自転車は危なすぎる

私は車を運転するが、車から見た自転車の危険行為は枚挙にいとまがない。例を挙げると一方通行の逆走、いきなり予告なしの横切り、信号無視、夜間の無灯火などキリがない。

日本h差左側通行の国だ。にもかかわらず「ここはアメリカ」とばかりに右側を通行する自転車が多くいる。さらにそのまま道路を横断する。これは危険極まりない。信号無視など日常茶飯事。そのことを注意すると逆切れする人も多い。もし事故が起きたら人生が終了するのはこちらなのに、なぜこのような事がまかり通るのか?こっちが切れたいくらいだ。

無灯火に指導警告票が49万人にもなっていた

無灯火だ年間49万人もの人が指導警告票を斬られている事実がある。総人口が1億人として0.49%。たったこれだけ?と思うかもしれないが、自転車に乗っている人は総人口よりも少ないから実際の数字はもっと上がる。

私も車を運転する一人として何度も危ない目になっている。自転車側の意識は車はよけてくれるものと思っているのだろうが、夕方や夜間は発見するのが遅れるというのをわかっていない。

この状態で無灯火で走っていたらどうなるか?普通の感覚であるなら「危ない」と思う。だが自転車に乗っていたらその感覚は薄れるのはなぜか?それは免許制ではないからだ。

自転車に乗りながらのイヤホン、スマホ運転も取り締まるべき

車でスマホや通話をして運転すれば違反になり、違反点数が加算される。しかし自転車にはその意識がないのが現状だ。少し前にあった女子大生の自転車が起こした死亡事故。これはイヤホンで音楽を聴き、スマホを操作し、飲み物を持っていた状態だったという。という事は、ハンドルを持っていなかったという事だ。このようなのは問題外だが、このような加害者を出さないようにどんどん摘発すべきだ。警察側ももっと厳密に運用すべきだ。

「自転車なんだからそこまでしなくとも」と言う人は自転車事故の多発をどう思っているのか?「自分は事故を起こさない」からと思っているに違いない。所詮は他人事なのだ。このような人は高齢者に多い。

警察に目を向けてみると、自転車に関しては盗難車の摘発に勤しんでいるのをよく見る、(少なくとも私の周りではそう)それも大切だが、交通安全やマナーの教育も必要だ。免許制ではないのだから、このような指導は「必須」ではないか。

スマホを持ち始めるのは「中学生」とすると、小学校低学年のうちに教育すれば6年以内にはその効果が目に見えるものになるのではないか。

「犯罪被害者」の権利とマスコミの報道

綺麗ごとばかりを言う司法とマスコミ

今日の「そこまで言って委員会NP」のテーマは犯罪被害者の権利。私も思うが、犯罪者の人権ばかりが拡大胃解釈されて過大に守られている。

山口県光市で起きた母子殺人事件。23歳の妻と6カ月の娘さんが殺された事件だ。当時18歳の少年が容疑者として逮捕されたが、当時のマスコミは「少年法」を盾にして、「実名報道」を渋った。「少年の人権を守る」と言う綺麗ごとに徹し、被害者の人権は無視する。「被害者は死んでしまったから人権は消滅した」と言わんばかりの対応だ。

少年法は戦後すぐにできた法律で「少年を更生させる」と言うのを主にしている。だが施行から70年近くの時間が過ぎ、時代にそぐわなくなってきている。施行された当時は「戦後の混乱期」で戦災孤児もいて治安が安定していなかった。当然少年犯罪も多かったが、この時代と現代を同じように扱うのはどうかと思う。

実際のところ「少年」とされている未成年者は「犯罪をしても少年法で守られる」と言うのをわかっている。だから未成年のうちに「やりたいことをやる」と言うのも一部にいるのも確かだ。またそれを利用する「大人」もいる。

少年法の問題点は、実名報道と過大な人権保護だ。「被害者の人権を奪ったものは人権がない」と言うのは心情的には当然だ。私は実名報道は私はやるべきだという意見。海外では「実名報道」が当然のように行われているが、日本では「少年はまだ未熟だから法律で保護しなければならない」と言うスタンス。さんざんグローバルスタンダードを推進して、そのような面は見て見ないふりをする。これこそがダブルスタンダードであり、ごまかしだ。

少年法の対象年齢を12歳までに引き下げるべき

これは私の私見だが、少年法の対象年齢を12歳、小学校6年生までに引き下げるべきだ。中学生になれば「成長期」になり、1年で体格は大人並みになる事も珍しい事ではない。人権派は「体が大人でも頭は子供」と言って擁護するが、「やっていい事、悪い事の区別」もつける事ができないのがいいと思っているのだろうか?

このような事を書くと「人権派」が騒ぐだろうが、「保護者の責任」と言うのをしっかりとらせるべき。子供の人格形成をするのは「保護者」の役割。それをやりもしないで「子供の人権」と言うのはいかがなものか。

未成年と言うのが「未熟」と定義するのならば、保護者の責任は非常に大きい。民事的なものだけでなく、刑事的なものも課されてしかるべき。

マスコミの問題点

マスコミの基本的なスタンスは「他人の不幸は飯のタネ」。ハッキリ言って「読者、視聴者が知りたがっている」というのは「マスコミが知りたがっている」と置き換えた方がいいだろう。

私自身ではないが、私の友人が「マスコミの被害?」に遭ったことがある。私が高校生の時にある駅で「女子高生」が「精神異常者」に殺害された。女子トイレに犯人が入り女子高生を刺して逃走したという事件。

この事件は全国的に大々的に報道された。私の友人は葬儀の手伝いに行っていたがそこにマスコミが取材に来ていた。いい加減家族も連日のマスコミの取材攻勢に疲れ、さらに子供をなくして憔悴している親御さんに「今の気持ちは?」、「犯人に言いたい事は?」と質問するマスコミ。

さすがに「いい加減にしろ!」と友人はマスコミの取材をシャットアウトした。その時のマスコミの対応がこっちは「取材しに来てやっているんだ」!なんだその態度は!と言う呆れかえる物だったらしい。

この姿勢は今でも変わっていないいているという事。。事件が起きたらマスコミがやることは、「加害者、被害者の顔写真を入手する」事。テレビを見ていると顔写真が「卒業アルバム」と思ったことがないだろうか?卒業アルバムという事は同級生という事。マスコミは片っ端から卒業生をあたって「卒業アルバム」を入手しているという事だ。それにカネが絡んでるかはわからないが…。

という事は、マスコミは「個人情報」を相当持っているという事になる。このようなマスコミが「個人情報」を持っていて大丈夫なのか?と思うのは私だけだろうか。

 

協調性とは何だ?

「協調性を持て」とは?

「あいつは協調性がない」、「自分勝手だ」と協調性がない人が言われる言葉だが、協調性がないという事は悪い事なのか?

では協調性を持つというのはどういう事なのだろうか?

同僚と仲良くすること?飲み会に積極的に出る事?自分の考えを押し殺して妥協する事?仕事を円滑に進めるため?

どれもいまいちピンとこない。会社と言うのは「労働の対価」としてカネを稼ぐところであり、仲良くするところではない。

極論を言えば、別に協調性などなくとも、お互いにビジネスに徹していれば仕事は問題なく進む。逆に仲良くする事によるメリットは何があるだろうか?メリットよりデメリットの方が多いだろう。

馴れ合いになれば必ずできるのが「職場の序列」。「こいつは言っても大丈夫」、「こいつは面倒」という選別が始まる。そうなると起こる事は何か?

それは社内いじめ。気の弱い人ほど仕事に忙殺され、気の強い人は要領よくふるまうので提示で買えるという悪平等が蔓延する。ある広告代理店で起きた「社員の自殺」も社内いじめの結果と私は見ている。新入社員に過重な仕事を押し付けている段階で、「そもそもおかしい」。仕事の分配があまりにも不自然だし、管理する上司がそれに気付かない訳がない。これで「上司が気付いていなかった」となれば上司としての管理能力を疑われても仕方ないだろう。

行き過ぎた協調性が「不当人事」の原因?

企業、省庁で起きている不祥事も「行き過ぎた協調性」が問題になっているのは明らか。協調性を持ちすぎた結果、不正に対してモノを言えない、不正が発覚しても見て見ぬふりをして事態を悪化させる憂き目にあってしまう。

内部告発した人は相当なリスクをしょって告発している。一応法律では、「内部告発者に対して不利益になるようなことを事をしてはならない」となっているが、それが機能しているとはとても思えない。先に言った「不当人事」が無くならないのがその理由だ。

内部告発すると会社に言ったとしよう。会社側は確実に「取引」を持ちかけてくる。これを表に出さないように画策するのは自明の理だ。

カネで解決するか、不当人事をして会社から追い出すかの2択になる。しかし告発する人はカネに馴染むことはない。そうすれば「不当人事」しか残っていない。

不当人事がなぜ行われるのか?それは見せしめのため。「協調性を持たないやつはこうなる」と言う会社側の意思表示だ。このような事があるから「協調性を持たない」=悪い事と言うのが世間一般に定着したのだろう。

まとめ

不当人事は未だに行われている。表に出ないから「不当人事」はもう撲滅されたというのは早計だ。最近出た防衛省の日報が出てきたのも「内部告発」の可能性があるし、自動車メーカーの不祥事も同様だ。

内部告発が出た時どう思うか?「黙っていればわからない」と思うのは確かだろう。わざわざ「会社の評判を落とす」事をやるとは思わないからだ。だが長期的に見たら「多大な損失」になる。

だから内部告発者を潰すように圧力をかける。彼らのいう協調性とは「会社の方針に従え」という事。仕事上ならともかく「不正に加担」する必要性はない。下手すれば「逮捕」という事もあり得るからだ。

今時期は新入社員が入社する時期。新入社員の人は会社の内部事情がよくわかっていないから、「いいように使われ、知らないうちに不正に加担している」場合があるので気を付けるように。

「会社の常識は世間の非常識」という事もあるという事を覚えていてほしい。

 

 

 

 

日高晤郎さんが亡くなる

あまりにも突然

3日に突然飛び込んできた「日高晤郎さん死去」の訃報。これまで体の調子が思わしくなく、めったに休まない番組を休んだりしていた。

でも私は「年齢的なものかな。晤郎さんも70過ぎているもんな」とさほど気にしていなかった。本人も「すぐ戻ってきます」と気丈に言っていたのでそう思っていた。

そこに突然の訃報。私は「フェイクニュース?」と思ってしまった。所がほかのチャンネル、ネットを見てもやはり「亡くなった」事は事実だった。

生活の一部

北海道以外の人は「日高晤郎?誰?」と思うだろうが、北海道では「絶大な人気」を誇っていた。なにしろ40年(日高晤郎ショーは35年)北海道でラジオ番組をやっていたのだから「道民なら知ってて当然」なのだ。

まあ、思ったことを単刀直入に言う人だったからハッキリ「好き嫌い」は分かれるが…。

私にとっては、彼がエンディングで歌う「街の灯り」を聞くと「今週も終わった」と思ったものだ。子供の頃から「あって当たり前」と言う「生活の一部」であったから、心に風穴があいたような感じになっている。

道民にとって…

なぜ日高晤郎と言う人が道民に受け入れられたのか?それは「単刀直入にハッキリ言う」という事に集約される。世の中の人は「お行儀のよい、当たり障りのない事を言う人を求めてはいない」という事。

松山千春、ビートたけし、やしきたかじんなどが大衆に受け入れられている事からも明らかだ。日高晤郎さんを含んだ彼らに共通していることは何か?

それは「繊細」という事。

好き勝手に言っているように見えても「言葉選びは相当に慎重」にやっていた。別にそれは、「放送禁止用語」とかではない。

厳しい事を言っていてもそこには「やさしさ」があった。ただ言いぱなっしではなく、「~をこうしてごらん」、「次はこうしたらいい」と言うアドバイスを送っている。

彼は「過去は変えられない。でも未来は変えられる」という事で「過去」に興味はなかったのだろう。常に前を向いて生きていた人だった。

それに彼は「道民の側に立って」話をしていた。「俺は東京都民だから」というスタンスではなかった。もし彼が「東京都民」と言うのを前面に出していたらここまで支持はされなかっただろう。

亡くなった後に驚いたこと

訃報を聞いて驚いたことが「札幌市内の病院で亡くなった」という事。てっきり私は「東京都内の病院」で亡くなったとばかり思っていた。

その理由は、「彼が東京都民で、事務所、自宅が都内にあり、毎週札幌まで通っていた」という事を知っていたからだ。逆にとらえれば、東京まで帰る体力がなかったとも言えるが…。日高晤郎ショーの関係者、STVの人はもう長くないという事をわかっていたのだろうか?「長くない」という事はわかっていたのかもしれない。しかし、こんなに「突然」亡くなるとは思っていなかっただろう。

 彼はこう言っているかもしれない。

「人間死ぬときは突然だ」と。

謹んで日高晤郎さんのご冥福をお祈りいたします。

新入社員に教えたい「嫌な人」

新年度始まる

本日4月2日に新年度が始まり、新社会人の人もそれぞれの会社で新入社員としてのスタートを切りました。夢も希望もあふれていて40代の私としては「こんな時もあったな~」と懐かしく当時の事を思い出します。

さて、夢も希望もあふれている新入社員の人には「現実的」な話をしようと思います。

最初にぶち当たるのが「人間関係」です。みんないい人ならそんな心配はないのですが、社会はそんなことはあり得ません。当然嫌な人もいます。

気合や根性を重視する人

体育会系でやってきた人にこの傾向があります。「苦しい事をやるのが人と言うもの。楽をするのはずるい」と言う偏った考えの人です。このような人は「合理的」にやるのを「楽をしている」ととります。極端な事を言えば「電卓を使えばすぐ終わるのを、そろばんを使ってやる」のが正しいというような人です。

このような考えは「趣味、スポーツ」ではいいと思いますが、仕事では「無駄」な考えです。それに仕事では「途中のプロセス」は評価の対象になりません。求められるのは「結果」です。それで「結果」を出してしまったら、「手柄だけを横取り」か「嫉妬のために露骨な嫌がらせ」と言う自己保身に走るのもこのような人の特徴です。

新人を教育する気のない人

大抵の会社では新人教育係と言うものが設けられていると思います。しかし、中には教育する事がができない人がその係をやっているのがあるのも事実です。

厳しい指導さえすればいいと単純に思っている人もいます。その基礎になっているのは「自分の経験」だけです。こんな人が指導すれば新入社員の半数は「辞めて」しまうでしょう。新入社員に人にとっては、どんな人も「仕事ができるように見える」でしょう。しかし意外にも私の経験からは、「仕事のできない人がなっている場合も多々ある」事も確かです。

なぜなら、仕事のできる人は「新人教育に携わる暇がない」からです。よって必然的に「暇な人」にお鉢が回ってきます。暇な人でも基礎的なものはできますので「指導はできるので問題はない」という判断なんでしょう。

ジャイアン型の人

反論を許さない、自分が正しいと思っている人の事です。昔は言葉だけでなく殴る、蹴ると言うのも普通にありました。今やれば大問題ですが…。

「私はこう思いますが」と言ったら、「俺の考えにケチをつけるのか!」、「お前が意見するなど10年早い」と言ってきます。キレやすいのもこのような人の特徴です。商品を壊しても「俺を怒らすお前が悪い」と言って反省などしません。

不正をして責任を押し付ける人

これは私が新入社員時代に経験した事です。当時、販売業をしていた私。営業終了後に「レジ金に誤差」がないか確かめる作業があり、3万円の不足が出ました。

3万円不足になる条件は

5000円札を2枚重ねて渡してしまった

1000円札を2枚重ねて渡してしまった

両替の間違い

位しか当時は思いつきませんでした。一般的に不足になる時は必ず端数が出ます。例えば13754円のような感じです。ところが不足は「3万円ちょうど」。

考えた末に上司が3万円抜いていた可能性が非常に高いという結論に達しました。でも証拠がありません。仕方なく私は処分を受ける事になりました。

翌日、その上司が「カードキャッシング」のATMに入るのを目撃しました。3万円不足=ATMという事で「私に罪を押し付け、返済のカネに充てた」と思うのに時間はかかりませんでした。ただ証拠がないので「罪人扱い」するわけにはいきません。きっとまた同じことをやるだろう、もしくは大問題を引き起こすだろうと思って、この事は口外せずに胸の奥底にしまっておきました。

それから数年たち、私もその職場を辞め、当時の同僚と会っていた時の事です。「~さんは会社辞めたよ。一応自主退職という事らしいけど…」と言葉を濁した事で察しました。不正が見つかって懲戒解雇になるのを、温情で自主退職にしてもらったんだという事を。ま、不正をやっていたら因果応報でいつか自分に跳ね返ってくるという事を学びました。

まとめ

上記に書いたのは、すべて私の経験した上司です。今考えれば「よくこんな上司のもとでやっていたな」と思います。まあこの経験がなければ、私も「嫌な上司」になっていたかもしれません。そのようにならなかったのは、この上司のおかげです。ある意味「感謝」ですね!

 

国民は納得できないというが…

国民とは何を指す?

森友問題で、佐川宣寿氏の証人喚問が行われた。50回以上もいわゆる「証言拒否」をしたのが納得できないという。

しかし「刑事訴追の恐れ」と言う理由で証言をしないというのは「証人」の認められた権利。それは証人喚問の冒頭で説明されていた。それを無視して納得できないから正直に言えと言うのは、反論を許さない「人民裁判」。常に被疑者の側に立つ野党、左翼らしからぬ発言だ。

そしてマスコミはその主張に乗っかった報道をしている。とにかくすべて話せ!と言い、国民は納得していない!と言う。

では納得するのはどのような事なのだろう。

安倍内閣総辞職=納得する

解散総選挙=納得できない

与党勝利=納得できない

野党勝利=納得する

という事だろう。結局は野党が政権をとれないと納得はしないという事。マスコミは民主党政権の事を忘れられないのは明らか。

では国民とはだれの事を指すのか?「マスコミ、野党を支持する人々」だけを指すのは明らかであり、それをひとくくりに国民と表現するのは間違っている。

結局は権力が欲しいだけ

では野党は本当に国民の事を考えているのか?

私は「日本国民の事は考えていない」と断言する。この根拠となるのが、「民主党政権」での政権運営。

民主党政権では中国、韓国を最優先に政権運営をしていたのは確か。代表するのが「外国人参政権」を導入を検討していた事。

彼らの主張は「税金を払っているのだから参政権を与えるのも当然。みんな仲良く暮らそう」と言うもの。だが税金を払っているのと参政権はまるで別の話。それに仲良くと言うが、日本人を憎悪の対象にしているのは在日外国人。

そんなに嫌いな国になぜいるのだろうか?日本で生まれたから、日本の教育しか受けていないからと言うのは言い訳。ならば「日本に忠誠を誓い、日本人として生きていく」と言う方法も取れるのでは?それもいやのならば、本国に帰るしか方法はあるまい。本国に帰るのは嫌、日本人にはなりたくないと言うのは通用しない。

このような人たちを支援団体としているのが野党。この人たちが実質この政党を動かしている。

国民は知りたがっている?

「国民は真実を知りたい」と言っているというが、これはマスコミのやってきた行動の結果だ。

ワイドショーで不倫だのなんだのを「国民は知りたがっている」と煽って「芸能人」のプライバシーまで暴き立てるのが正義と思っているのを「常識」と思えるように植え付けた成果だ。

国民には知る権利がある、と言うが何でも暴き立てるのが正しいのか?私はそうとは思わない。

 

 

 

 

人手不足で困っているという企業に一言

自業自得

今、企業が黒字なのに「廃業」するというのが増えているという。その理由は後継者がいないという事。息子に継がせないのか?と言う意見もあるが、その息子も後継者にならないとなれば廃業しか道が残されていないのも確かだ。かといって赤の他人に事業を継いでもらうのも難しい状況だ。

それはなぜか。社長が事業継承を望んでいるという事は、従業員も高年齢化が進んでいるという事。とてもじゃないが事業継承できるような人たちではない。できれば中間層の人に継いでもらいたいと思っているが、今の企業の年齢構成は若手と定年真近の人しかいない。30代後半から50代前半の人員がほとんどいない企業が多い。

中間層の人の就職時期は、就職氷河期と言われた時代で買い手市場だった時代。まともな就職もできずに今も非正規と言う人も多い。

その当時は「会社が危ないのに新卒など採用できない」と言っていた企業が人手不足で悲鳴を上げている。ま。自業自得だが。当時40代だった社員が定年になるという事はわかっていた事だ。

その当時は買い手市場で、優秀な人材=国立大か有名私大という縛りでそれ以外認めないと言う考えにとらわれていたのが原因だ。その結果として会社は従業員の尊大な態度をとるようになった。

「お前らは会社に採用してやった人材」と言って尊大な態度、サービス残業の強制、ブラック企業の増加を招いたのがこれが要因だ。

世代交代ができないという泣き言

この事を言わずに人手不足で困っていると言う面だけを強調する企業には嫌悪感しか残らない。それだけ人手不足で困っているなら定年制を廃止すればいいだけ。

「世代交代ができない」と言う仰々しい謳い文句を言うが、そもそも世代交代をできる状況ではない。最近企業の不正が横行しているが、中間層の人手不足と無関係ではない。この時期に採用された人は「厳しい就職戦線を勝ち抜いてきた」人達。さらに団塊の世代の大量退職でポストが大量に空き、実力以上の役職が付いている人も少なくない。当然技術の継承もできていないので中途半端になる。

中間層を増やすには

問題点は新卒一括採用にあるのは明らか。もっと中間層に門戸を広げるべきだ。それには社会人採用の機会をもっと増やすべき。

だがそれには課題がある。一般常識などの筆記試験は社会人にとっては難しい。いわゆる大学のAO入試のようなものを採用できないものか?要は人物重視と言う事。

これは会社側が難色を示すのは明らか。だが面接と言うのは会社側と受験者双方がお互いを面接する場。会社側も勉強しなければならないだろう。

安倍政権と野党どちらを選ぶ?

安倍一強?

野党は「安倍独裁政権」と揶揄して攻撃をしている。独裁政権?で国民の事を考えてていないというのが野党の主張だが、果たしてそうだろうか?

野党のいう「国民の事を考える政治」とはこう言っては悪いが、大衆迎合にしか見えない。これは民主党が政権をとった時に「暫定税率を廃止します」、「沖縄の米軍基地を県外へ移転します」と口当たりのいい言葉で国民を扇動して政権をとった事からも効果的なのは明らかだ。そして政権を取った後には「マニフェストに書いていない事を実行に移す」という事をやる。結果としては国民は騙された格好になる。

この経験から国民は自民党に不信感を持っても、「野党に政権を渡せない」という事を学習してしまった。そういう意味ではあの「民主党政権」も意味があったといえるだろう。

この1年半野党は「森友問題」に終始してきた。その理由は「与党に対抗できる野党を作れなかった」に尽きる。安倍政権になって何度か総選挙をやったが、ことごとく与党に敗れている。政権奪取する機会はあった。だがそれをモノにできなかったのは野党自身。

仮に安倍政権が総辞職したとしても野党が政権をとれるわけではない。総選挙で過半数の議席を取らなければ政権をとる事はできない。だが今の野党の支持率と体たらくを見ていると政権をとれる確率は限りなく低い。

「森友問題に終始して政策についての論議ができていない」と言って与党を責めているが、裏を返せば「対案を出せない」か「総辞職させて総理を別の人にするのが目的」のどちらかだ。

安倍一強を許さないと言うが、どの政党も同じような状況に置かれれば「やることは同じ」。民主党政権の時だって「鳩山。菅、野田一強」であったのをわすれていないか?

森友問題

今話題の森友問題。佐川氏が証人喚問に呼ばれ「総理、夫人、政権関係者からの指示はない」と証言した。証人喚問では嘘の証言をすれば刑事罰の対象になる。そのようなリスクをしょってまで嘘の証言をする理由は佐川氏にはない。

だが野党はご不満なようだ。「嘘の証言をしてもいいくらいの見返りがあるから」とか「証言拒否して証人喚問にならない」とか言い出す始末。

では逆に問いたい。その見返りとは?まさか一生暮らしていけるだけのカネを手に入れ事ができるから、嘘の証言をした?とか言わないでしょうね?その金を払うのは安倍総理?冗談もいい加減にしてもらいたい。それこそこんなことをやったら「証人喚問の証言をカネで買った」と前代未聞の事になる。そこまでのリスクをおかすだろうか?

今回の証人喚問で佐川氏は50回以上証言拒否したといってマスコミ、野党が攻めているが、逆に言うと「50回以上そのような質問をした野党が愚か」と言う事になる。それに「刑事訴追の恐れ」で証言を拒否するのは認められた権利。

これを一般人の犯罪の取り調べに置き換えると「黙秘権など許さない」、「これじゃ取り調べにならない」と言っている事と同じ。取り調べの可視化、録音などをやるべきと言っている国会議員のいう言葉ではない。この問題で抜けているのは証拠の信用性。「籠池氏がこう言っている」、「このようなメモが出てきました」と言うが、その証拠とされるものの検証はされているとは思えない。

野党を選択ということはない

ハッキリ言って野党を次期政権にと言う選択肢はない。唯一可能性のあるのは維新だが、まだ勢力としては弱い。残りの党はとてもではないが政権は任せられない。その理由は日本国民ではなく外国民のための政治をやる可能性があるから。

共産党はその名の通り「共産主義」が党是だし、民進、立憲、社民、希望は韓国、北朝鮮に目が向いている。日本国民のために政治を行うのが国会議員の務めなのにもかかわらず、外国の方を向いて政治をやるなどあり得ない。

アメリカのトランプ政権が「アメリカファースト」を打ち出しているのを「極右化」とマスコミは言うが、これは極めて当然なのではないか?外国の利益のために働く国会議員などいるのがおかしいのであって、外国なら「犯罪行為」になるのではないか。

 

あなた方が望んだ証人喚問でしょ?

本日、佐川氏証人喚問

本日、野党が望んだ元国税庁長官佐川氏の証人喚問がありました。まあ「世の中そんなに甘くない」という事になりました。

甘くないというのは「野党」にとってという事です。前日まで「佐川さん頑張れ」と言っていたのに、思い通りにいかなかったら「証言拒否で告発する」というのは手のひら返しにも程があります。

「刑事訴追の恐れがあるから~」と言って証言をしないというのも、証人に与えられた権利です。それを思うような証言を得られなかったら「証言拒否」とは…。

そもそも野党にとってこれは結論ありきなのです。この公文書改竄、土地取引に安倍総理、昭恵夫人が関与しているという証言を引き出し、議員辞職及び内閣総辞職に追い込みたいという算段なのです。

この証人喚問で明らかになったのは、政権内部、閣僚、秘書官そして昭恵夫人の関与がなかったという事です。

証人喚問の場で嘘の証言をすれば偽証罪に問われるのに嘘の証言をするのは考えずらい。しかし野党は納得しません。しまいには市民団体の「本当の事を話せ!」と言うデモに参加するという暴挙に出ました。

籠池氏の時は

振り返ってみましょう。森友学園前理事長籠池氏。彼も証人喚問の証人として国会に呼ばれました。これに対して野党は「本当の事を話せ!」となったでしょうか?

野党は籠池氏の証言を正しいという前提で話を進めています。しかし彼の証言が正しいという裏付けは取れてはいません。にもかかわらず正しいという前提で進めるという事に疑問は感じないのでしょうか?

野党ももう引っ込みのつかないところまで来ているので、今さらと言うのもあるのでしょう。これで政権などの関与がなければ野党はどう責任を取るのでしょう?

野党の質問は礼儀がなっていない

野党の質問は礼儀がなっていません。特に共産党はその傾向が強いです。今日の証人喚問を見ていても、思い通りに答えが返ってこなかったら「逆ギレ」、「恫喝」など礼儀がなっていません。これは野党の焦りとも取れます。

冒頭で政権などの関与はないという事を佐川氏が証言しました。これを肯定してしまったら、野党の今までの主張が崩れ去ってしまうという危機感からだと思われます。その危機感が、共産党の質問が終わるときに「尋問を終わります」という言葉に表れていると思われます。証人喚問は質問の場であり、尋問の場ではありません。

「国民は納得していない」と思う?

マスコミがすぐいう事、「国民は納得していない」。ではその国民はどのような人を指すのか?それは「マスコミ」と「反自民勢力」です。

今回の証人喚問でも報道は「佐川氏は嘘をついている」というスタンスです。では彼が嘘をつくことで得する事があるでしょうか?刑事処分になるリスクを負ってまで嘘をつく道理はありません。中には「嘘の証言をする事で、自民党からの見返りがある」と言う無理筋の理屈をつけてくる人もいます。

納得するのは安倍政権が無くなる事。では仮に安倍政権が総辞職、安倍総理が議員辞職したとして、総選挙になって野党が勝たない限り政権はとれません。

総選挙にならなかったら、ほぼ自民党から次期総裁=総理大臣が出ます。そうなれば「アベノミクスの継続」もあり得るでしょうし、急に政策を変換するのは考えずらいです。

まとめ

今回の証人喚問。佐川氏の勝ちとも取れます。そもそも官僚のトップ中のトップの佐川氏に国会議員が太刀打ちできるとは思えません。省庁の経験者の国会議員もいますが、佐川氏ほどのポジションまでになった人がいるでしょうか?

また「人が死んでいる」という感情論に持ち込む人もいますが、それは近畿財務局内部で起きた事。原因は財務省よりも近畿財務局の労務管理という事も考えられる。そもそも省庁の勤務が深夜、翌日にまでになるのが異常。それに財務省では自殺者が出るというのは過去にもある。人が死ぬというのは確かにあってはならないが、今回だけを特別扱いするのはちょっと違うのではないかと思います。

 

私ももしかしたら…

心当たりはありますか?

最近「大人の発達障害」というのが注目されています。学歴は申し分ないのに、社会に適応できないなどの問題を抱えている人の事を指します。

ではなぜ大人になってから判明するのでしょう?

それは日本の学校教育が未だに偏差値重視という傾向にあるからです。一応建前上はテストだけでなく、総合的に判断していると言いますが、実態は偏差値重視です。その結果が、大人になってから発達障害が見つかるという事になっています。

勉強は知識を詰め込んでそれをテストに反映させればいいですが、実社会は対人関係が大きなウエイトを占めます。今話題の「忖度」ではないですが、相手の気持ちを慮るというのは、そのような人は非常に苦手な分野になります。そして社内では浮いた存在となり、居場所がなくなるという状態になります。

職業選択の間違い

自分が発達障害と気付かず就職活動をすると、自分には不向きな職業を選択してしまう事態になります。

そのような人が向かない職業とは、社外的に人と接する仕事、チームワークを要求される仕事です。営業、販売、商社などがそれにあたります。

世間的には一流と言われる会社に就職を決めてしまったら「周りからの期待感」があり、向かないとわかっても辞めたいのに辞められないジレンマになってしまいます。それは本人にとっては最大の不幸です。

ではどのような仕事が向くのか

このような人が向く職業は、人との関わりが最低限で済む職業。例えば、ルート配送ドライバー、システムエンジニア、など「自分で仕事を管理する」職業です。

私は配送ドライバーをやっていましたが、この職業は性格に難のある人が多いといえます。一般的にドライバーというのは「気の荒い人、短気な人、暴力的な人」が多いというイメージがあると思われています。

個々の分析はあながち間違っているとは思いません。要は人と接するのが苦手という事です。特に初対面の人には。

主婦になってから気付く

発達障害に気付くのは「主婦」になってからもあり得ます。主婦というのは婚姻関係を解消しない限り継続されます。要は逃げ場がほとんどないとも言えます。

主婦は家事がメインの仕事になります。料理、掃除、子供がいれば育児というのに追われる毎日です。

ただ現実、掃除はできない、料理もできないという状態では「婚姻生活」を維持していくのは困難です。その為に必要なものはパートナーの理解です。

ただ本人もそれに甘えるというのはどうかと思います。「私は発達障害という診断を受けたから」と水戸黄門の印籠のようにして開き直るのは愚の骨頂です。せっかくパートナーガ理解しても、そのような態度をとっていてはどうしようもありません。

「努力しても治らない」というのならば、それは努力の仕方が間違っているという事です。

片付けを例に挙げてみましょう。このような人はこまめに掃除をするという事をしません。こまめに掃除をすれば片付けの労力は少なくて済むという事を理解していません。

まずはそこから理解してもらうという事から始まります。